- ホーム
- コラム
- キンヤとカイキ〜青春ものづくり奮闘記
- 第 十四話 上を向いて歩こう
第 十四話 上を向いて歩こう
今日は珍しく海外からのゲストをお迎えしました。彼は生粋のアメリカ人で、創業者でもあるゲンバ会長の重要なビジネス・パートナーですが、実は会長の米国留学時代からの旧友なんだそう。二人とも既に80代ですが、工場見学の際に仲良く肩を並べ颯爽と歩く姿を後から追いかけるお世話役のキンヤの目には、実に頼もしくまた微笑ましく映りました。
全てのプログラムが無事終わると、会長はニヤリとし『OK、エルウッド。飯にしよう』とゲストに声をかけました。そしてキンヤに向き直り「今日はご苦労さん。一緒に会食に出て欲しい」と告げました。キンヤは驚き「あ・・・それは」と口ごもりましたが、傍にいたアイダ課長が「いい経験じゃないか。ご一緒したまえ」と肩を押しました。
会食は工場近くの料理店でした。しばらく会話が弾んだのち、大きな鍋が運ばれてきました。『Oh,Sukiyaki…』、エルウッドさんは子供のように歓声を上げました。『君の好物だよね。ここのはおすすめだよ』。『ありがとう。これが食べられるなんて幸せだ』と相好を崩したエルウッドさんでしたが、ふとなにかに気がついたように会長へこう語りかけました。『Mr. Gemba、Sukiyakiといえば・・・』。会長も箸を止め『そうだ。そうだったね』。実は「Sukiyaki」は二人の思い出の曲の名前でもあるのでした。
二人が米国の工科系大学で知り合った頃、大流行していたのが、日本初の全米ヒットチャートNo.1曲「Sukiyaki(上を向いて歩こう)」でした。当時の米国はキューバ危機やケネディ大統領の暗殺事件など、社会に暗雲が立ち込めていました。そんななかこの曲をきっかけに日本に興味を持ち始めていたエルウッドさんが、同じ講義に出ていた会長に声をかけたのが最初の出会いだったとのこと。意気投合した二人は、カーステレオから流れるこの曲を歌いながらよくドライブに出かけたそうです。
『エルウッド、僕はあの頃この曲に何度も助けられた気がする』『そうだな。僕もこれを聞くたび、どんなに辛いことがあっても前を向く元気をもらったよ』。その後会長が帰国してからも二人の親交は続き、やがてビジネスでも深く関わることとなりました。そして機会がある度に会食してはこの曲を歌いあったのだそうです。
「あ、そうだ。キンヤ君にもこの曲は役立ちそうだな」。突然振られたキンヤは目を白黒させました。「え、え、なんでですか?」「アイダ君から聞いているぞ。君は最近スマホから目が離せずに俯いて歩いてるんで危なっかしくてしかたないって」「はあ」「まあ、この曲のように『上を向いて歩く』んだな、怪我せんように」。ポンと肩を叩き笑い出すと、エルウッドさんもキンヤを見つめ思いのほか流暢な日本語で「ホントホント。シアワセワクモノウエ、デスヨ」とツッコミを入れました。
Happiness is above the clouds
Happiness is above the sky
「I Look Up as I Walk」歌詞より
2025年5月29日